生命活動

明日の夜空に星があろうがなかろうが、今日も半径わたくしの世界が重なる街へと出ていく。この小さな部屋では完結しない生命活動だ。

生きているのはこの身体。もはや個体ではなく、集合体として突っ込まれる電車の中でもしぶとく呼吸して、自らの形を保つ人間たち、を紛れ込んで頭上を飛ぶ羽虫は俯瞰しているだろう、わたしたちは羽虫一つ叩けない。目的地の駅までこのまま運ばれていく、無関係の一時的な運命共同体。

身体を操る/身体に操られる、そのつり合いは時折派手に崩れて、ブレーキにたたらを踏む足、映画鑑賞真っただ中に起こる片頭痛、言葉がわいてくるのに落ちていくまぶた、朝目覚めたら冷や汗塗れの目眩に襲われて動けずに昼まで一日が始まらない。そんなすぐに崩れる安定の上に胡坐をかいて、今日も明日も昨日や一昨日と同じように身体を動かせると思っている脳の傲慢さ。

隣に座っている知らないあなたの具合はいかがですか。今朝は低血圧に悩まされましたか。お腹が空かなくて、何を食べたらいいかわからない、なんてことはありませんか。駅へ運ばれたあとは、お仕事ですか、余暇を楽しまれますか、それとも家のご用事ですか。

何一つ知らない人と肩をぶつけながら、進む電車に揺られている。車掌のアナウンスをルーティンとして聞いて、どの車両のどこのドアが階段に近いか覚えてしまって、まるっきり歯車だとドア付近に貼られた転職サイトの広告に知らされた、としても。

わたしたちはわたしを生きる、それだけだ。


2017/9/21